日常の中の気付き
もうすぐ1歳9ヶ月になる息子のまもるは、感情表現が日に日に豊かになってきて私たち夫婦を楽しませてくれています。 みかんの中心に親指を入れて半分に割るたびに「わぉ!」と独り言を発してみたり、箱の中に何かを入れて目を輝かせながら「(み)てっ!(み)てっ!」と見せに来てくれる姿を見ていると、子どもはこの一瞬一瞬を精一杯生きてるんだなぁ〜と実感します。
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箱を開けたら物が入っている。 スイッチを押したら電気がつく。 ボタンを押したら音が鳴る。 夕方お散歩していると街頭が灯る。
雨水がパイプから勢いよく流れる。 引いたら扉が開く。 物が落ちて音がする。 今日も日常のそんな些細な1つ1つに「わぉわぉわぉ!」と惜しみなく声をあげている、まもるさん。初めての体験にはもちろん、予想した通りに物事が起こった時も彼にとっては「わぉ!」の体験なんですね。
そんなまもるさんを見ていると、私自身だんだん今まで当たり前だったことが当たり前に思えなくなってきて「確かにすごい!」「面白いよね!」と共感する事もしばしば。子どもの曇りなき眼に教えられることがたくさんあるなぁ、と感じています。 モンテッソーリ教育にはいくつかの分野がありますが、それぞれに特別に準備された「教具」があります。例えば「感覚」の分野では「感覚教具」と呼ばれるものがあり、感覚の分類や洗練に役立ちます。初めて授業でこの感覚教具に触れたときの、「わぉ!」と言う感動…今でも鮮明に覚えています。まさに当たり前が当たり前に感じなくなった体験でした。 以前コーヒー屋さんで働いていた時、生豆(焙煎する前の黄緑色の豆)を見たら銘柄の国と産地を識別する事ができました。これは感覚が洗練され微々たる違いが分かるようになっていたからです。大人になっても意識するとかなり感覚って洗練されるものなんですね。 次回のイベントでは、「大人も感じてみようモンテッソーリ教具①」と題して、大人の方にこの感覚教具に触れて頂きたいと思っています。ぜひご参加ください。