教具があれば良いんじゃない!?
ブログの更新が止まっていました。ごめんなさい!
今月のモンテッソーリ☆ライフは、 日本の一般的な保育、いわゆる一斉保育とモンテッソーリ教育の違いに着目することで、
モンテッソーリ教育の子どもの捉え方をお伝えします。 まだお席はございます。 「何が違うの?」と言う点を、「モンテッソーリ教育とは」と言うことではなく、
皆さんがご存知の、私たちのほとんどが経験して来た一斉教育との比較を通してお伝えするセミナーです。
さて、藤井聡太四段がモンテッソーリの幼稚園に通っていたと言う報道がきっかけで、
「モンテッソーリ教育」と言う言葉と「ハートのバッグ」と言う活動、ついでに、彼が将棋以外にはまっていた迷路が作れる木製の積み木が大流行りで、来年の春まで入荷しないそうです。
しかし、どれもこれも、言葉の一人歩き、活動の一人歩きで、そこに本質はありません。
「ハートのバッグ」は、手先を使って紙で編み上げるハート型のかばんのような工作物です。
入荷待ちとなっている積み木も、手を使いながら、立体構造を模索、構築するもので、確かに発達を助ける遊びになることでしょう。
手を使うことは、モンテッソーリ教育の活動では、とても重要視しています。しかし、言った通りそれをすればいいと言うものではありません。
では、藤井四段の話題で言われる集中力は、なぜ「モンテッソーリ教育」で生まれたのでしょうか。
「ハートのバッグ」「積み木」「将棋」「モンテッソーリ教育」
藤井四段についての報道で出てきた、これらのキーワードには重要なキーワードが抜けています。
それは「大人」です。
やりたいだけハートバッグを作らせた「幼稚園の先生」
自分のやりたいことに集中できるように、身辺自立を助け、手を使えるあらゆる活動を準備し、整えられた環境を日々準備していたであろう「幼稚園の先生」
大量のハートバッグを持ち帰っても、「他に何か、お仕事しないの?」と、わかりやすい『教具』を使うことを促したり、「うちの子はバッグしかさせてもらってない。」とクレームをつけたりせず、お子さんと先生を信頼していたであろう「藤井四段のご両親」
食えるかどうかわからないのに将棋をやりたいだけやらせた「藤井四段のご両親」
積み木にハマる自由も、将棋にハマる自由も惜しみなく与えた「藤井四段のご両親」
先生もご両親も、間違いを指摘せず、試行錯誤を微笑ましく見守り、やりたいだけやる自由を与えたことと思います。
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と言うと奔放と誤解されますが、そこにはきっと、周囲の人の自由も尊重し、集団での、家庭でのルールは守るという制限はあったはずです。そうでなければ、ただの自分勝手になります。
「制限」についてはまた改めて。。。
実際、『教具』があれば「モンテッソーリ教育をやっています」と唱っていたり、それぞれの『教具』の持つ役割や使い方を深く理解せずに扱っていたり、わからないから、ハートのバッグのような副教材的な活動ばかりを与えがちな「モンテッソーリ」を唄う園もあるようです。
しかしそれも「大人」の姿勢次第で大きく変わります。
そんな人的環境としての「親」、『大人の役割と姿勢』これについてもまたお話したいと思います。